幼い頃、カレーが嫌いだった。家族十人分の材料を淡々と仕込む母の後ろ姿が疲れきっていた。「迷惑をかけている」階段に座ってぼーっとその様子を眺めながら、子供の私は思っていた。そうやって出てきたカレーはほんのり甘く、ちゃんとリンゴをすりおろして入れてくれた母の味がした。リンゴはその後チョコレートの隠し味に変わったが、それでも、私たち三姉妹に対する母の心は伝わった。ようするに、子供の私にとって、カレーは「おかあさんのいっぱいいっぱいな状態と愛情」が混ざりあった、何とも言えない混沌とした食べ物だったのだ。
前号でも書いてあるように、富山は本格派カレー店の世帯カバー率が三位。家庭のカレーと本格派カレーが同じように受け入れられている。両方楽しめる度量を持つ人々。それが、私たちの誇る富山県の気質だ。カレー嫌いだった少女は色々な土地を移動してまた富山に辿り着いた。インド・パキスタンを主流とする本格派カレー店がやたらと増えていた。テレビがパチンコ屋さんのコマーシャルばかりなことにビックリしたのと同じように、驚いた。そこで初めて、避けるようになっていたカレーをまた口にする。正直、辛かった。甘いカレーに慣れていた私は一番辛くないものを注文したのだが、それでも十分なものだ。「もう行かないでもいいかな」と思ったが、何日かすると不思議なことにまた食べたくなった。スパイス万歳!!!(写真:ゴメスさん高岡店/富山グリーンカレー)
私は、自分の中に新しい「カレー」を発見した。カレーという単語を一括りにすれば、ずっとカレーは苦手な食べ物のままだったかもしれない。しかしカレーは変化して、別のものになって私にひとつ何かを教えた。それは、このカレーも母のカレーも、形は違うが疲れを癒すということだった。もしかしたら母は、自分自身の為にもカレーを作っていたのかもしれない。そう考えると気が楽になった。新しい発見は新しい状況を招く。今なら、理解できる。私も子供に言うだろう。カレーを一緒に作ろう、と。一緒においしいカレーを食べよう、と。(写真:タージ・マハール戸出店/タンドリーチキン定食)
執筆者:上野賀永子(kae)